先日、YCAMで「私たちの話し方」という映画をみました。 ろう者と一言で括れない部分が描かれていました。 3人の男女の物語です。 幼少期、学校では手話を使うと怒られていました。 先生から怒られても、手話を使い続け成長した男の子(ジーソン)、手話と口話を使い、後に人工内耳装用者となる男の子(アラン)、そして3歳で聴力を失い人工内耳を装用する女の子(ソフィー)。 ある日、人工内耳を推奨するイベントで3人が出会います。 そのイベントで、ソフィが言います。 「人工内耳を使ったら普通の人になれる」その言葉を会場で聞いたジーソンが激怒します。 その言葉だけでは、ろう者は普通の人ではない、と聞こえます。 また手話をも否定したように聞こえます。 最悪の出会いですが、ソフィはジーソンの生き生きとした手話に魅了されていきます。 もともとソフィは、人工内耳のアンバサダーの立場です。 いい会社にも就職しますがソフィの思いには全然追いつきません。 ぎこちないしゃべり方や、機械の故障等で思うように仕事ができず、もらえず、だんだん疎外感を抱きます。 人工内耳を装用していても居心地の悪さはぬぐい切れません。 一方でアランは人工内耳装着者として人工内耳を肯定しています。 ソフィには「こちら側の人」でいてほしいと願っています。等々が中盤くらいまでのあらすじです。 聞こえない人の中でも、何を母語にするか、手話、口話、人工内耳、選択は個人の自由です。 その中に親の希望もあります。葛藤が伝わってきます。 イベントでソフィが発した「普通の人になれる」という言葉、同じ意味合いの言葉を私も知らず知らずに発しているかも?と省みました。 「普通」はいろんなことに鈍感です。 傷つけること、怒らせること、悲しませること、また不便に思うことにも・・・。 そんなことに自然に気がつける自分になりたいと思いました。 機会があれば、「私たちの話し方」どうぞご覧くださいませ。